40代オーストラリア移住>現在海外点々中 アドベンチャーライフ

2015年にオーストラリアへ移住。
2015年からは東京→カサブランカ(モロッコ)→キャンベラ(オーストラリア)→パース(オーストラリア)→一時日本帰国→ブリスベン(オーストラリア)→パース→パリ(フランス)→パース→<現在>日本
現在分け合って、ベースはオーストラリアだけど数か月ごとにいろいろな場所で住んでいます。海外に興味がある人、これから留学・移住を考えてる人に役立つ情報発信していきます☆

Happy New Year 2017

年末から今までパリ⇒オーストラリア⇒日本と移動が多かったので、ブログの更新ご無沙汰してしまいました。
オーストラリアの家に戻りスーツケースの荷物を詰め替え、今年も引き続き旅人生活始まりました。今度オーストラリアに戻るのは4月です。


日本は今年酉年なんですね~。海外にいるとすっかり干支は忘れてしまいます。
東京駅に鳥の人形を重ねて作った鏡餅?、お正月ツリーが置いてありました。なんだか見た目はクリスマスツリーのような感じ。てっぺんにはお扇子、随所にお正月を感じられます。多くの人は特に立ち止まることもないですが、思わず立ち止まってパチリ。


久々の東京。お正月ということもあり、デパート、電車混んでました。
やはり東京のスピードは速いな~と感じます。


家で久々におもち食べたらおいしかった~。日本にいたら普通の食事ですが、海外だとなかなか食べれません。やはり日本食おいしいです!!しばらく日本食堪能します!!

パリの美しい街並み

パリの街並みはほんと美しい。
すべての建物が絵になります。特に夕方の時間はパリ街全体がさらに美しく見える。私の好きな時間です。

パリは建物の高さが並んでいる=それが街全体に統一性を持たせ、個々の建物だけでなく、街全体を美しく見せている。その街の美しさに多くの人が魅了されるのだと思う。


19世紀半ばごろまではパリも豚が放し飼いにされていたり、住民は日々出る生ゴミや汚物を通りに投げ捨てるため、道の窪みや溝にはそれらがたまり、河川には動物の糞・廃棄物・汚物などが流れ込み、水が汚染された。悪臭で汚染されていたパリ


1853年から1870年までセーヌ県知事を務めていたジョルジュ・オスマン、その在任中に皇帝ナポレオン3世とともにパリ市街の改造計画を推進した。この都市改造はフランスの近代化に大きく貢献し、現在のパリ市街の原型ともなっている。


エッフェル塔から見たパリ。
見渡す限り建物が統一されていて素晴らしい景色です。でもこの街並みを作るのは大変だったと思う。


凱旋門のあたり。


パリのアパルトマンは中庭を作るため、中心に空間がある。

上から見るとこんな感じ↓

ちなみに私のアパルトマンの中庭。

それぞれのアパルトマンが違ったた中庭を持っている。思ったより、アパルトマンは圧迫感がないです。窓が中庭に面していると、街の騒音も聞こえてこない、とっても静かです。

広〜い ルーブル美術館 行って来ました

今回でフランスは3回目。でも今までルーブル美術館に来るチャンスがありませんでした。


お目当はモナリザ。すみません。あまり写真の画像が良くないです↓


オープン20分前に行ったら、20人ほど並んでいるだけ。アッサリ入場できました。
思っていたより空いている印象。きっとテロ後、観光客が減った影響です。
美術館に入ったら他の美術品には目もくれず、モナリザに一直線。これがみんなの一番のお目当。世界で最も有名な絵画。


いましたモナリザ。頑丈な保護ケースに入ってます。両端に美術館の人も4人程いて、厳重警備です。
今まで教科書やテレビでしか見たことなかったので、オリジナルを見れて感動。
なんとも言えな微笑である。これが人を惹きつける。何分見ていても飽きない。モナリザに引き込まれそうです!


モナリザ近辺には超名画がたくさんあります。
特に私が好きなのはこちら
ドラクロワ 7月28日-民衆を導く自由の女神



それにしてもルーブル美術館広すぎます。3棟に別れていてそれぞれが4階建て。私たちは半分ほど見て、歩き疲れてルーブル美術館を去りました。


ルーブル美術館は元々は宮殿。当時宮殿も一部再現されています。


本当に広すぎる宮殿。当時はいったいこの宮殿に何人住んでいたのだろうか?それに比べて現在のパリのアパートは本当に狭い。住環境は昔の方が良かったのかもしれないですね。